写真集「挑戦者の肖像」(1990.4.26発行) のころ



「オリンピックを体験して、僕は挑戦者の底知れぬ魅力に取りつかれてしまったよ」

「勝つヤツと負けるヤツとの違いは、要するに瞳の輝きなんだ」

「闘志を瞳に浮かべている選手を狙えば、ほぼ間違いなく決定的瞬間が撮れる」

「駆け出し記者のころ、小学生の伊藤みどりを撮りに行かされた。しかし自分なりに満足のいく写真が撮れなかった。天才少女に腕相撲で敗れたようなショックだった。悔しくて眠れなかった。 猛烈に写真の勉強をして、気がついたらスポーツカメラマンになっていた。そして彼女は世界の頂点に立っていた」

「勝った瞬間のガッツポーズも感動的だけど、勝つまでのドラマはもっと凄絶で感動的だ。でも澄んだ眼で彼らと対峙しないと、そのドラマは見えないかも…」

「池谷と西川の両選手が体操でメダルをとったのは、もちろん彼らの実力だけど、僕は彼らが怖いもの知らずだったのも大きな勝因だったと思っている」

「勝つと思うな。思えば負けよ…誰かの歌のセリフじゃないけれど、スポーツの世界には演歌がよく似合う」

「『巨人の星』は、どこへ行った? 根性は、どこへ行った? 忍耐という言葉は、忘れたのか? まもなく、みんな死語になってしまうのか?」

「夢に向かって流す汗は臭いか? 泥まみれのユニフォームは汚いか? 汗を流さず泥にもまみれず勝つヤツは、そんなにカッコいいか?」

「スポーツカメラマンの機材は正直いって重い。しかし挑戦者たちの姿を瞼に甦らせると、自分もまた彼らの心境になって軽々と持ち上げられるから不思議だ」

「報道の現場は試合そのものや勝利の瞬間ばかりを追いかけている。いわば記事の添え物としての写真。けれど僕が撮りたいのは選手たちの喜び、怒り、哀しみ、楽しみ…つまり感情の起伏。 シャッターチャンスそのものがズレているから、僕の写真とは重複しない」

「スポーツカメラマンは失敗が許されないから大変ですね…とよく言われるが、実際は、そんなに大したことはしていない。食べたいときに食べ、飲みたいときに飲み、シャッターを押したいときに押す…。一瞬一瞬を本能のおもむくままに行動してるだけだ」

「僕のスポーツ写真には一切テクニックなどない。だから優れたテクニックの持ち主であるかのように紹介されると困ってしまう。でも選手の内面を描くのだけは得意かも…。『三つ子の魂、百まで』というけど、やっぱり新聞記者出身だからね」

「将来はどうなるかわからないけど、とにかく今はできるだけ選手を大きく撮る。息づかいまでも伝わってくるように撮る。同業者の中には、僕の写真は選手の全身が写っていないからダメだと批判する人もいるけれど僕は全然気にしない。 僕の写真は純粋な報道写真じゃないからね。だから彼らの評価など僕は、ちっとも関心ない」

「スポーツ写真におけるクローズアップ手法が僕ひとりで終わるのか、あるいは誰かに引き継がれていくのかはわからない。そんなことは後になって時代が証明することだ」

「みんな間違えている。スポーツカメラマンの本当のライバルはスポーツカメラマンじゃない。TV映像だ。TVをなめてかかると、いずれひどい目に遭うと思うよ」

0.戻る


トップに戻る