■VOL.3「写真は夢と冒険の世界」

世の中、おもしろいもので夢を叶えた人は、いばらの道を振り返りながら「つらいこともあったけど充実した日々でした」などと爽やかな笑顔で言ってのける。 シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子選手も、ゴールしたあとで「42キロを楽しく走れました」と、あっけらかんとしていた。
しかしスポーツに限らず、どんな世界でも志半ばにして消え去った者の中には「とにかく汚い世界だった。 もう私は、まっぴら御免です」などと吐き捨てるように言い周囲の同情を買おうとする人もいる。 いったい何が真実なのか、部外者には、さっぱりわからない。いくらテレビや新聞などの報道でも当事者本人の心の闇までは、くっきりと照らし出せそうにない。 私が、はっきりと言いきれるのは、私自身が体験したことだけである。

いわゆるマスコミで仕事をするプロカメラマンは人気が高く、さらに、どこまでが仕事で、どこからが遊びなのか判然としないようなところが、いっそう人気に拍車をかける。 おかげさまで私のところは「プロカメラマン予備軍の相談所」のような立場に置かれてしまっている。これは好むと好まざるとにかかわらず社会が勝手に張り付けたレッテルである。
「なぜ私のところへ来たのか」と聞くと、彼らの答えは、ほとんど共通している。 「プレスカードをつけて好き勝手にスポーツを取材できる姿が、うらやましい」「ダンスを通して華やかな社交界に自由に出入りできる姿に憧れる」 「美少女を撮りたいといえば、いつでもモデルは微笑んでくれるし、さらには女性(を撮る)カメラマンのステイタスシンボルとしての写真集まで発表している」と。なるほど、そういうことか。
確かに相談にやって来るプロカメラマンの卵たちは、私のことを徹底的に調べ尽くしているし、それが21世紀の情報社会を象徴している。しかし私から見れば、まだまだ彼らの下調べは甘い。これは決して私が、もったいぶって言っているわけではない。

私が新聞社を辞めてフリーランス宣言しようとしたとき、当時の上司から「新聞記者から肩書をとったらタダの人。いくら写真のうまいキミでも、スポーツの国際舞台で写真を撮るのは無理」と警告された。 美しさの虜になって始めた社交ダンスの写真も、私がダンスの写真集を出版するまで完全にダンス専門誌の独壇場だった。女性写真の世界も私のような門外漢には冷たかった。それでも「美しい写真」を撮ることで、おのずと道は開けた。

それなりの結果を出すたびに、いつしか可能性はパワーアップしてきた。写真という夢と冒険の世界で生き続ける私と、途中で消えてしまった大勢の仲間たちとの違い―それは「ひたむきさ」だけだった。 才能に大差があったとは思えない。これまで私は常識を破り、新しい地平を切り開くことで、伝統に挑戦してきた。私の半生は反逆の繰り返しだったといってもいい。そしていま私の夢は世紀をまたいだ。

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