■VOL.5「誇り高き挑戦者たれ」

風薫る5月は大好きな季節だ。暑いのも寒いのも苦手という私にとって、一番仕事がやりやすい季節である。ところが毎年このころになると決まって珍客の訪問に悩まされる。何を隠そう、それはトラバーユを希望する若者たちである。
「学校の先生の紹介でプロカメラマンのところへ弟子入りしたのはいいけれど、朝から晩まで雑用ばかりで、ちっとも自分の時間がありません」
「まずはスタジオで修業を積もうと思い、先輩の誘いで入ったまではよかったのですが…なかなか厳しくて、どうも続けられそうにありません」
「人に使われるのは大嫌いなので、学生時代に撮りためた作品を持って出版社を回っていますが、誰も相手にしてくれません」など、次から次へとグチをこぼしにやって来るのだから、こっちもたまったもんじゃない。 いっそ誰か有名な占い師と業務提携でもして、まとめて彼らの面倒を見てほしいくらいだ。

そもそも、そんなことをくよくよ考える時間があること自体が問題なのだ。これも「ゆとりの教育」とやらの弊害だろうか。私の駆け出し時代を振り返ってみても、そんなことをくよくよ悩む余裕など、まったくなかった。 こう断言すると、広い世の中には誤解する人もいると思うので、あえて付け加えると、私の悩みは「どうして自分なりに満足のいく写真が上手く撮れないのだろうか」という点に集約されていた。毎日、己と戦っていたのだ。前日の自分自身を越えられない日は、はがゆかった。眠れないほど悔しかった。

周りの人たちが「あまり良くない」と言ってくれるうちは救いがある。「どこが悪いんでしょうか?」と謙虚に聞けばいい。ただ「なんとなく…」という曖昧な答えでは困るが、はっきりと意見を言ってもらえれば、しめたもの。 弱点を克服すればいい。私など的確な指摘をしてくれる人は神様のように思えてしまう。相手は写真なんか、まったく知らなくたっていい。なまじっか写真をかじった人の話を聞くよりも、まったく写真など知らない人の 「ひとこと」に教えられることもある。どこにヒントが転がっているかわからない。

みんな、やれ景気が悪いだの、なんだのと言っているが、それ以上に深刻なのは、日本人が以前のようにガムシャラに仕事をしなくなったことだ。どう見ても今は貧しいアジアの人たちのほうがハングリー精神を持ち合わせている。
ここだけの話だが、私はNHKの「プロジェクトX」という番組を見るたびに、涙がこぼれそうになる。逆境と困難に立ち向かう誇り高き挑戦者たちの姿はフリーランス宣言したばかりのころの自分にそっくりだからだ。 くだんのトラバーユ希望者に、同番組の感想を聞くと「昔の人は、よく仕事したんですね」と、まったく他人事のように言う。 そして私は、いつも言葉を失う。

「われ以外みなわが師」今も昔も、私の考えは一貫している。鋭く私の写真の弱点を突いてくれる人に、私は心の底から頭を垂れる。「ありがとうございます」そう呟き、いつか、その人に認めてもらおうと、さらなる闘志を燃やす。

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