■VOL.12「夢の扉を開く上京入門」

東京というのは摩訶不思議なところで、トップもいれば、ビリもいる。 はるか雲の上の人もいれば、はるか地の底で暮らしている人もいる。 あまりの落差の大きさに、かつて岐阜の田舎から出てきたばかりの私は呆然とした。 同じ空間に天国と地獄があることが初めは信じられなかった。とんでもない夢の世界に紛れ込んでしまったかのような衝撃を受けた。

確かに東京には、すぐムカツク人もいれば、すぐキレる人もいる。しかし、みんながそうではない。 どんなに待たされても不満ひとつ漏らさないで行列に加わっている人もいれば、巡ってくるはずもないチャンスの到来を今か今かと首を長くして待ちわびている人もいる。 よく辛抱していられるなと感心するほど忍耐力のある人だって多いのだ。

どうして、こんな話から始めたかというと、年末スーパージャンボ宝くじの1等に当選する確率と花形カメラマンになれる確率とを較べると、はるかに前者のほうが簡単なような気がするからである。 写真の世界は完全なピラミッド構造になっている。メディアという舞台で華やかなスポットライトを浴びる、ごくひと握りのトッププロに憧れ、写真の世界を志すというのは、いかにも無謀な挑戦だ。 眼下に広がる途方もなく大きな裾野の存在に気づいて立ちすくむというおなじみの転落コースが目に見えている。

私は写真そのものを嫌いになったことは1度もないが、プロカメラマンを目指していた才能あふれる仲間たちが次々と挫折して去ってゆく後ろ姿を見送るたびに、なんて怖い世界なのだろうと痛感せざるを得なかった。 その一方で、別離の寂しい瞬間に何度も立ち会ううちに、彼らが脱落しなければならなかった共通点が垣間見えたような気もした。

なぜか彼らは口を揃えて「オレは運が悪かった」と言った。もちろん運がいい、運が悪いというのもあるだろう。 誰がどう見ても運だけで頂点にのぼりつめる人がいることは間違いない。いわゆる「親の七光り」が、その典型だ。 苦労知らずの「お坊ちゃま」「お嬢さま」を眺めていると複雑な心境になる。 そして運だけで、すべてを片づけてしまいたがるのが弱い人間の常でもある。 だが「みずからの強き信念で運命を切り拓く」くらいの気持ちがなかったら、そもそも大きな夢など叶うはずもない。

写真は遊びだ。いや正確に言えば、遊び心がなければ、いい写真など撮れっこない。 だからといって、単なる遊び人が一流の写真家になったという例を私はいまだかつて聞いたことがない。 私の知っているトッププロは、みんな努力家だ。さすがに私生活についてまでは知らないが、少なくとも「写真を撮る」という行為においては、誰にも負けない情熱を傾けている。努力の跡を見せないところが、また凄い。 「私は頑張っています」「私は努力しました」などと自慢しているうちは、人間まだまだ序の口である。

「オレには才能がある。社会が気づかないだけだ」とくすぶっている若者に私は忠告する。「自信があるなら、思いきって勝負してみたら、どう?」と。表現の自由が約束されているこの国では、よほど反社会的な写真でなければ、たとえば写真展や写真集などで己の才能を世に問うことなど、さほど難しくはないはずだ。それによってキミの写真を高く評価してくれる人が現れたら、その人こそキミにとっての神様かもしれない。

これまで私は自分のためというよりも、私の写真を見たいという人のために撮り続けてきた。 もし、そういう人が私の前にいなかったら、とっくに写真などやめていただろう。 おカネを儲けるだけなら、他の仕事のほうが、もっと容易で、効率がいいことくらい知っている。 芸術家でありながら実業家以上に経済的な成功を収めたのは、おそらく世界じゅうでピカソくらいのものだろう。 はたして写真家で、そんな人が、いただろうか?

「1回、シャッターを押すだけで数十万円…」景気のいい話が、若者の射幸心を煽りたて、プロカメラマン志望が絶えないと聞く。 とはいえ、みんながみんな、そんな美味しい話にありつけるはずもない。写真界は、きわめて芸能界に似ていると思う。 トップとビリ。言い換えれば勝ち組と負け組。両者の差は、大きいというより激しすぎる。 なぜならば写真界で中流意識を持っている人たちは、ほとんど企業に所属している、事実上のサラリーマンだからだ。 独立して自由に活動しているプロに限っていうならば、ピラミッドの頂点部分と底辺部分のどちらかしかない。 怖い話だが、本当である。

だから真剣にプロカメラマンを目指すなら、よほどの覚悟を決めてから上京することだ。 中途半端な気持ちで写真の迷宮に足を踏み入れたら、ひどい目に遭う。将来きっと後悔する。 プロとしてやっていこうと胸に誓ったら、どんなことがあっても諦めず、キミの夢に向かって突き進んでほしい。 キミが考えているほど東京の水は甘くないはずだ。先輩として、それだけは忠告しておく。


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