
うーん。正直、困りました。実は私もスポーツ畑出身の写真家なのです。
今でこそダンスや美少女などを幅広く撮影し、それぞれの写真集まで出していますが、かつてはスポーツを通して写真の基本を学んだ人間なのです。
だからというわけでもありませんが、今回ばかりは以前の同僚や後輩たちの名誉のために、ちょっとだけ弁護させてもらいます。
あなたが指摘される「どうみても写真が汚い」というのは、おそらく「画質が悪い」ということではないでしょうか。
もし、あなたがリバーサルフィルムを自由自在に使いこなすほどの腕前であるとすれば、そのような意見を述べられても当然だと私は納得します。
そういえばベッカム選手の大ファンだという主婦が書店でスポーツ誌を手に
「何、これ? 私の王子様の顔がギザギザじゃないの。ふざけんじゃないわよ。もしかしたらTVの画面を勝手に撮影したんじゃないの…」とプンプンしていました。
私は吹き出しそうになりながらも、ちょっとだけ彼女が可哀想になりました。
決して身内をかばうつもりはありませんが、これはスポーツカメラマンのレベルが全般的に落ちたというよりも、写真を撮影して発表するまでのプロセスそのものが変わってきたことによる悲劇なのです。
私が調べた限りでは、決定的瞬間の数そのものは従来と変わっていないような気がします。
では、何が原因なのか?
あの「裸の王様」に登場する少年じゃないですが、あまり写真を知らない(はずの)主婦の不満に、すべてが集約されているのです。
スーパースターの勇姿を台なしにしたのはデジタルのいたずらなのです。最近はデジタルの進化も目覚ましいですが、だからといって銀塩を越えたわけではありません。
銀塩のような粒子こそないものの、デジタル特有のギザギザ(ノイズ)には首をひねる人も多いようです。残念ながら、これが今の技術的限界のようです。
しかしスポーツ写真の現場では今、銀塩からデジタルへと機材が急速に移行しつつあります。国際大会ともなると試合の最中に、どんどん手元のパソコンから写真(撮影データ)を取材チームの前線基地に送り、それを瞬時に全世界に向けて発信するのです。
これまで通信社や新聞社などの「報道」は速報性を最優先し、後追いする雑誌社や出版社などの「プロ」は写真の画質にこだわってきましたが、現在では明確な棲み分けも消えつつあります。
だから厳密な言い方をすれば、もしプロの写真に対して問題点を指摘するなら、あくまでも画質への執念の欠如についてでしょう。なぜならば、これこそが本来、プロの誇りであるべきものだからです。
スポーツというジャンルにおいては「報道」との差別化を図れなくなったとき、おのずと「プロ」は自滅の道を歩み出すのでしょうか。
誤解を招くといけないので最後に付け加えておきますが、私は「プロを取り巻く環境の変化も少しは理解していただけたら…」と一般の読者にお願いしているにすぎません。
もちろん写真が汚いというクレームについては関係者一同が厳粛に受け止める必要があると思います。
「TVのベッカム様のほうが、ずっと美しい映像だったわ」それにしても、あの恋する主婦のボヤきは当分、私の耳から離れそうにありません。
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