スーパードクター深作秀春先生は私の「命の恩人」


写真家・柳沢雅彦


2017年の秋…赤や黄に燃え立つ山々の紅葉は、ひときわ目に眩しく映りました。しかし狂おしいほどに美しい自然の宴(うたげ)は、過去に経験したことのない悪夢の始まりでした。なぜか撮影のために登った山から下りられなくなってしまったのです。黙々と山頂を目指していた時は何ともなかったのに、下り坂になった途端、足元の遠近感がつかめず、山道を滑り落ちるようにして命からがら下山しました。

しばらくすると今度は自宅の階段すら下りられなくなりました。いつのまにか利き目の右目がほとんど見えなくなっていたのです。失意のどん底の中で、生きていく自信と希望を完全に失いました。

憔悴して近所の眼科の開業医に駆け込むと「手術以外に選択肢はありませんが、ここでは無理です」と言われました。追いうちをかけたのは女性検眼士の言葉でした。「残念ですが、もう右目は社会的失明の段階です。残った左目を大切になさってください」。いたわりの言葉も、私には残酷な死刑宣告に響きました。

紹介状をもらって行った公立の大きな総合病院では「ご希望なら手術しますが、非常にリスクは大きいです。最高に上手くいって視力が0.1あがるくらいかな? もちろん視力が落ちる確率のほうが高い。放置すれば、遠からず失明するでしょう。でも手術に失敗すれば即・失明します。手術はやってみないことには何とも言えません」とか。

本当に右目が失明するのなら、幼い頃から心の支えだった「春の高山祭」を最後に見せてあげたいと切望しました。わんぱくだった少年時代を振り返りながら、祭の屋台を感慨深げに眺めていると、いつしか涙が頬を濡らしました。片目だけでも精進を続け史上最強の横綱と呼ばれた双葉山の生き方を目指すか、それとも潔く写真家を引退するかの崖っぷちに立たされました。

長年にわたって過酷な撮影を右目に強いてきた自分への天罰なのでしょう。せっかく両親に五体満足で産んでもらったのに…申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうでした。右目にそっと掌(てのひら)をあて、感謝とお詫びの言葉をかけました。

私は瀕死の白鳥ならぬ瀕死の写真家になっていました。写真家にとって失明は脳死や心肺停止と同義語なのです。もはや死に体も同然でした。写真家として、やるべきことは全部やりました。だから何ら未練も悔いもありません。目が不自由になって周囲の人たちに迷惑をかけるのは絶対に避けたいと心に誓っていました。

そうだ。両目が失明する前に、黄泉(よみ)の国へ旅立とう。愛用のカメラを手にアマゾンかアフリカに出かけ、弱肉強食の掟の中に身をゆだねたい…私らしい最期をイメージしました。

どんどん目の前が暗くなっていく恐怖に怯えながら、日々あわただしく終活に急ぎました。すっかり人生を諦めかけた2018年の春、私は都内の大型書店で、ある本に出会いました。

眼科の世界的権威・深作秀春先生の著書「一生よく見える目になろう」(主婦の友社)です。

さっそく買って帰り、むさぼるように読み始めました。どのページも深作先生の医学への情熱がほとばしっていて涙が止まりません。美の巨匠モネを苦しめた目の病気と画風の変化を絡めた解説にも脱帽しました。

すでに私の右目は、裸眼だと10cmまで目を近づけないと新聞すら読めない危機に陥っていました。さながら版画家の棟方志功さんの世界でしょうか。「われ神仏を尊び神仏に頼らず」を座右の銘として生きてきましたが、今回ばかりは深作先生に命乞いの手紙をしたためました。

※ 深作先生に宛てた手紙(抜粋)

スーパードクターとの対面、そして神業ともいえる
手術を受けることに
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