語録 写真家・柳沢雅彦 世界

21世紀を迎え、いま写真界では銀塩とデジタルとの間で激しい綱引きが繰り広げられています。これほど「写真とは何か?」が問われている時代はなかったと思われます。 写真家・柳沢雅彦が1つのテーマを追いかけ写真集を上梓するまでの心の葛藤を綴る「語録」には、新しい時代を切り開いていくためのヒントが隠されているかもしれません。その走り書きの一部を本邦初公開いたします。  (企画・構成/西野かおり)
写真集「美少女一番星」(2000.10.15発行) のころ
「ダンスの写真ばかり撮っていたら、無性に女性の写真を撮りたくなってきた。そうだ、まずは美少女から始めよう」

「僕には姉や妹もいないし、女の子もいない。だから彼女の全部が珍しいんだ」

「カメラのファインダーを通して美少女と向かい合っていると、いつのまにか自分の愛娘を眺めているかのように錯覚してしまうことがある」

「レンズの奥にいるのは、まぎれもなく小さな美少女なのに、時として色香を漂わせる大人の女性に見える瞬間がある。怖いねー(笑)」

「美少女というのは、この地上で、もっとも妖精に近い存在じゃないかな」

「僕は生まれてこのかた、いわゆる美少女写真集とやらを1冊も見たことがない。なぜって、まったく興味がなかったからだ。だから今回も、すべて自分流で撮る」

「生々しい写真は絶対に撮りたくない。なぜなら鮮度が落ちたら、それでオシマイだからね。僕は絵本の主人公のように彼女を描きたいんだ。だから写真家というより画家だよ」

「どんな写真がいい写真か僕にはわからない。でも20才の誕生日に彼女自身が手にとってみたときに、私にもこんなに素敵な少女時代があったんだって喜んでもらえる写真集をつくりたいんだ。 いいか悪いかはモデル本人が後になって判断すればいいこと…」

「僕にとっての写実というのは、イメージの写実を指す。つまり外見ばかりか内面までも忠実に描きたいということだ」

「美少女を好きなように遊ばせ、その自由空間を瞬時に切り撮る。よけいな演出はしない。女優じゃないんだから、こちらの指示通りになんか撮れっこないからね」

「僕の場合、女の子を楽しませることはできても、悲しませることはできないから、写真集の表情に片寄りが出るのは仕方のない話かも…(笑)」

「なぜかわからないけど、12才の美少女の素顔を撮る瞬間はブルブルッとする」

「時間(とき)よ、止まれ!…彼女を撮影している間じゅう、何度、そう心の中で叫んだことだろう。しかし奇跡は起きなかった」

「二度と、こんな美少女と出会うことはないと思った。だから、どうしても彼女の美的一瞬を永遠に変えたかったんだ。幸い、この願いだけは天まで届いた」

「春夏秋冬…。日本の美しい四季の移ろいのなかで、彼女を描いた。自然の中には、いつも光り輝く彼女がいた」

「撮影中、美少女という言葉の意味を幾度となく考えさせられた。そして僕が辿りついた結論は比類なき透明感だった」

「僕が目指したのはおおげさな美少女写真集でなく、プライベートの美少女写真日記」

「とにかく自然らしさを最優先したかったので、撮影機材は必要最低限にとどめた。内緒だけどコンパクトカメラで撮ったカットも、ずいぶんあるよ(笑)」

「見物人の目は、なかなかゴマかせない。どこへ行っても僕と彼女の周りに人だかりができて、その応対にくたびれてしまった」

「被写体をガラリと変えたおかげで、久しぶりに駆け出し気分を味わえてよかったよ」







ひき続き 写真集「佳代の記録」のころ もぜひご覧ください







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