「谷口与鹿との想い出」 第16話 師匠の形見をかけた決闘 語り部・柳沢雅彦
第16話 師匠の形見をかけた決闘


谷口与鹿が夢の中で男に予言した競売は、まもなく有名なインター ネットのオークションサイトで突然はじまりました。あらかじめ男 が「谷口与鹿」の名前をアラートに登録しておいたので、くだんの 掛け軸が出品されると同時に男のもとに通知が来ました。
いま何人が関心を寄せているかの数字もパソコンの画面にリアルタ イムで表示されます。また注目度が高いと、それも頭に表示され、 いっそう見物人の興味を誘い、射幸心を煽ります。オークションを 盛り上げるための仕掛けは盛りだくさんです。
男の隣で一緒にパソコンを覗いていた与鹿は、ひと通り現代版の競 売の仕組みを説明してもらい、どうやって落札するかの道筋と戦略 を頭に描いたようでした。
「これは面白い。まるで光と影の世界だ。日向に出ている数字と日 陰に隠れている数字がある。この見えない数字さえ巧みに操れば、 かなり有利に戦えそうだ」と得意げに言いました。
日陰になっていて相手からは見えない数字を逆手にとって果敢に攻 めてみてはどうかという与鹿の提案は男にとって新鮮でした。
「壁に耳あり障子に目あり」師匠は弟子に耳打ちしました。
落札の締め切り日時を男にメモさせたあと、オークションのウォッ チリストから削除してパソコンの電源を落とすよう指示しました。 想い出の掛け軸への凄まじいまでの渇望をオークションの期間中い かにして隠し通すかが、最大の鍵になりそうです。
幸か不幸かインターネットのオークションは、お互い相手の顔が見 えません。完全に姿さえ消してしまえば、いとも簡単に無知と無関 心を装うことができます。透明人間に変身することによって、この 掛け軸への注目と関心をそらす狙いでした。
毎年、高山祭に訪れる観光客には美しい屋台の魅力を紹介するパン フレットが配布されます。そこには日本三大美祭のひとつ高山祭の 功労者として名工・谷口与鹿の名前が紹介されていました。
谷口与鹿は飛騨の人なら誰でも知っている歴史上の偉人です。しか し遠路はるばる国内外から訪れる大勢の観光客にとっては、祭の期 間中だけ喝采を浴びる夢まぼろしの蜃気楼のようでした。
たまたま、この年は世界じゅうに猛威をふるうコロナ禍の影響で春 と秋の高山祭が戦後初めて中止になりました。そのため例年ほどに は、谷口与鹿のビッグネームも巷の人たちの目に触れることはあり ませんでした。この絶妙なタイミングで師匠の形見をかけた決闘が 繰り広げられるなんて、何という幸運でしょう。
与鹿の言いつけさえ忠実に守れば、知る人ぞ知る、いや故郷の人で すら知らない秘密の掛け軸を落札できそうな希望が男の胸に芽生え ました。かけがえのない師匠の形見を入手できる願ってもない絶好 の条件が、すべて揃っています。
千載一遇のチャンス到来に、男は武者震いしました。


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