「谷口与鹿との想い出」 第20話 万難を排して取り戻せ! 語り部・柳沢雅彦
第20話 万難を排して取り戻せ!


春の高山祭で、谷口与鹿の彫刻を目玉にしている屋台を1億円で買 おうとした中国人の余裕しゃくしゃくの笑顔がトラウマのように甦 りました。いくら師匠の熱烈なファンであっても、こんな場面では 再会したくないというのが偽らざる本音です。
師匠の形見をかけたオークションは、愛弟子の男にとって、ただの マネーゲームではありません木刀ではなく真剣を握りしめた戦い。 まさに斬るか斬られるかの悲壮な決闘でした。
「万難を排して、オレの掛け軸を取り戻せ!」
与鹿の言葉がズシンと男の胸に響きました。
この日のために男が用意した100万円の指値が突破されてしまっ ても怯むことは許されません。「百折不撓」の四文字を胸に刻み、 落札するまで背水の陣で突き進むしかないのです。
最悪の事態を想定し苦渋の表情を浮かべる男に向かって与鹿は「こ の掛け軸について何も知らない相手なら、むやみに恐れるまでもな い。しょせん猫に小判だ」と言い放ち「屋台の彫刻じゃないから、 オレの名誉も威信も無関係だよって落札価格は気にしなくてよし。 安く落札できたら、儲けものだと思え」と男を励ましました。
負けず嫌いな与鹿らしい言葉ではありましたが、揺れ動く内面の葛 藤を男は敏感に感じ取りました。
男は静かに目をつぶって、これから奇跡が起こることをひたすら祈 りました。すると、いつしか男は現実を忘れてしまい、気がつくと 不条理な情景が目の前に広がりました。
オークション終了のカウントダウンが始まるとともに、競い合う 小心者の相手は緊張してトイレに駆け込みました。心を落ち着かせ てパソコンの前に戻ってきたときには、とっくにオークションは終 了していました。ムンクの「叫び」のようなポーズが印象的でした。
落札に自信満々のお金持ちがうっかり長風呂してしまいました。 すっかり茹であがってしまい、のぼせて赤鬼のような顔をして浴槽 から這い上がりました。ふらつきながらパソコンの前に座りました が、まだ頭がボーッとしているうちにオークション終了です。
オークションの参加者は自分1人しかいないから落札間違いなし と早合点した慌て者が、うとうと居眠りしてしまいました。根っか らの楽天家なのでしょうか。目が覚めたときは時すでに遅し。大き な獲物を逃し、さながら鳩が豆鉄砲を喰らったような顔でした。
⋯⋯男の頭の中に都合よく展開した奇妙な物語の3人の主人公たち は、いずれも魔が差して落札のチャンスを逃してしまうという筋書 きで、男には無関係のところで話が進んでいきました。
誰が落札したのかは、遅かれ早かれ、いずれ知れるでしょう。禍根 を残さず平穏にオークションを終わらせたいと男は願いました。
もし自業自得なら本人も苦笑いして一件落着です。


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